本サイトは、太平洋戦争中に旧日本軍が発表した「大本営発表」をデジタル化し、データベースとしてまとめた世界初の試みです。
大本営発表文は、原則として当時の表記を忠実に再現しています。
【大本營陸海軍部發表】(十二月󠄁八日午前󠄁六時)
帝󠄁國陸海軍は本八日未明󠄁西太平󠄁洋において米英軍と戰鬪狀態に入れり
例として、上に「開戦の発表」(昭和16年12月8日午前6時 大本営陸海軍部発表)の大本営発表文を示します。例えば文頭の「テイコク」を取り上げると、「帝国」ではなく「帝󠄁國」となっています。日常で使うこともある「国」と「國」の違いはもちろんの事、「帝」と「帝󠄁」の違い(一画目が縦か横か)も分けています。
本データベースでは、太平洋戦争中の大本営発表に一意の識別子として「大本営発表ID」を付与しています。大本営発表IDとは、上にも挙げた「開戦の発表」(昭和16年12月8日午前6時 大本営陸海軍部発表)を「第1号」とする、太平洋戦争中の大本営発表の一意の識別子です。
現在、日中戦争から太平洋戦争までの大本営発表を通覧できる文献は存在しない。富永(1970年)には、太平洋戦争以降の大本営発表の全文が掲載されている。ただし、これは『朝日新聞』の縮刷版より拾い集められたものであり、本文でも触れたとおり、見落としやダブルカウントが存在する。
具体的には、【2つの欠落と、1つのダブルカウントがある。(筆者要約)】
富永は太平洋戦争以降の大本営発表の回数を846回とするが、以上を踏まえれば、847回としなければならない。
辻󠄀田真佐憲,『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』,p.281より引用
(漢数字を算用数字に変更し、一部を中略して筆者要約を付けた)
辻󠄀田真佐憲 氏の『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』によると、太平洋戦争以降の大本営発表は847回とするべきとありました。そのため、本データベースでは、開戦の発表を大本営発表ID:第1号とし、最後の発表を大本営発表ID:第847号となるよう、登録しています。
将来的には、日中戦争時の大本営発表もデータベース化し、すべてを網羅する予定です。